午飯がすむと、車はもう一度高速道路へと上がってひた走りに走る。涿州へと向かうのだ。劉備・関羽・張飛等3人が桃園の誓いを立て、義兄弟の縁を結んだ場所だ。
後漢王朝も乱れに乱れ、各地に反乱の火の手が上がり、王朝の統制が効かなくなると、中国全土に英雄が勃興し、劉備等が運命的な出会いをした記念の場所なのだ。
しかし、この時代は日本で言えば「弥生時代」・・・・そんな遺跡が地表に残っているわけはないのだが、此処は中国、何でも有りの世界が広がっていた。
王運転手は知ったかぶりをする傾向があるようで、此処、涿州はどうも始めてきたようだ、その証拠に高速道路をおりると道を間違えてしまい、三義宮を通り越してしまった。
もちろん俺たちも初めての場所であるから方角的には分かっても細かい地図を持参しているわけではない、運転手さん、目星を付けた自動車修理のお店に車を突っ込み、三義宮への道を訪ね始めたのだ。
やはり、来すぎていた、それも張飛廟のまだ先へと来てしまったようで、慌てて、車をユータンさせ細い脇道へと入っていったのだ。
今から1800年も前の遺跡であるから何も期待していないできたのだが、雰囲気だけは掴んで帰りたい、何しろ三国志・三国志演義の振り出しの場所なのであるからなあと、そんな感想で駐車場へと車は滑り込んだ。
まあ、とにかく入館料を払い(20元)中へと入る、3人の大きな塑像が並び俺たちを出迎えてくれている、律儀な関羽・そそっかしい張飛・そして皇帝になる劉備・・・そうなんです、三国志演義のとおりの物語が繰り広げられていたのだ。